□ブルーベリーフィールズ紀伊國屋社長 岩田康子さん
■レストラン全焼から再出発 「またここで料理を」と夢を抱いて。
−−ブルーベリー栽培のかたわら、自宅でフレンチレストランを手がけるなど挑戦の毎日だったのですね
岩田 子供2人も大学生になり、東京と大阪へ出ていきました。1人の生活となったとき、レストランもやっていた自宅が放火されました。
−− そんな怖いことが…。けがはなかったのですか
岩田 2階の寝室で寝ようとしていたときでした。家は全焼しましたが、すぐに通報したので私はやけどもせず、助け出されました。不思議と自分が助かったことよりも、子供たちの思い出が燃えてしまったことが申し訳なくて。
−−すべてを失ったのに怒りはなかった?
岩田 モノへの執着はなかったですね。それはレストランを始めたころから手伝いに来てもらっていた地元のおばあちゃんの影響かもしれません。
−−どういうことですか
岩田 レストランの予約で、私が草引きできない代わりに来てくれるようになったのですが、朝7時から黙々と頼んでいないところまですべて草を引くんです。ジュースを勧めても「山の水がある」と言い、暑いから休んで、と声をかけても「(しゃがんでいて)立つとな、風が涼しいんや」と働き続ける。あるとき、おばあちゃんに何か贈り物をしたくて「どんなときが幸せ?」とたずねたら、「4人の子供にわらじを編んでやれたときが幸せやったなぁ」って。目が覚めたような気持ちでした。それまでの私は、自分が洋服や食事を手に入れることが幸せだと思っていた。物を追求してきたのだと気づかされました。
−−それでも、離れて暮らしていたお子さんはとても心配されたでしょう
岩田 娘は大阪だったため、すぐに駆けつけてくれました。泣きながら「お母さん、これからは自分の夢のために生きてください」と言ってくれました。思えば「子供を育てていかないと」と、十分に稼げない自分に厳しく朝も晩も働いてきました。娘はちょうど20歳。子育てはもういいよ、ということだったのだと思います。そんなとき、1人の若者が「もしレストランをやるなら、雇ってください」とたずねてきました。
−−何もなくなった土地にわざわざ?
岩田 彼の修業先のシェフが、ここで育てていた摘み立てのハーブが好きで、たびたび来られていたんです。がれきしかないこの場所で、彼はここで育つハーブを使って料理をするという夢が見られるんだ、と驚きました。彼の言葉は私の希望にもなり、火災保険金で隣の山林を買ってハーブガーデンをつくり、平成8年に本格的にレストランを始めました。友達には「家を再建するのが先でしょう」と怒られましたけど。
−−約100種のハーブと有機野菜の料理、天然酵母のパンと、この景色。すばらしいごちそうですね
岩田 日本の農業は今、海外の安価な農産物に押されて農業だけで食べていくのは難しいです。このレストランでは、農業の現場で仕事を理解してもらいながら食事をしてもらえる意味があります。(聞き手 石川有紀)
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posted by ヒキチ マモル at 10:10|
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